<天は自ら助くる者を助く> | 眠れぬ夜に思うこと(人と命の根源をたずねて)

<天は自ら助くる者を助く>

確かに、今現在派遣社員をしている者にとって派遣業の問題は死活問題だろうが、派遣業といっても日本社会の体質に馴染まなければいずれは消え行くもの、あるいは自然縮小するものである。ゆえに、日本の伝統文化に則った社会の体質改善こそ急務ではないだろうか。そもそも、派遣で食べているオレ様の結婚を誰かなんとかしてくれというのではお話にならないし、派遣社員は結婚できなくてかわいそうだからなんとかしてあげなければというお話ならそんな偽善につきあう気など小生にはない。

自己責任というコトバを安易に使いたくはないが、自分の人生に対する責任感に乏しい者ほど、何でもヒトのせいにし、そのくせ何でもヒトに頼りたがるものだ。そのことを自覚しない限り、何とかなるものでも何ともならぬことだろう。
天は自ら助くる者を助くである。自らを救うために努力を惜しまぬ人だけが救われる機会を得るのだ。社会制度もそのようでなくてはなるまい。私の知る限り、本当に努力している人間は簡単に“努力の限界”などというコトバは使わない。

だから、「誰か何とかしてくれ」ではお話にならないのだ。正しくは、「何とかしなければ」である。派遣労働者が可愛そうだから何とかしてあげようと思う奇特な御仁は自らが稼いだお金でその人たちを食べさせてあげればよいだけだ。勿論、私はまっぴらごめんである。そんなことをしてもきりがないからだ。ゆえに、派遣労働者が“可愛そう”だから何とかしなければならないのではない。治安の悪化をはじめとする社会不安の増大と最終的な国力低下が問題なのだ。

なぜ派遣で働かねばならなくなったのか。現状に至ったのには理由があるはずだ。原因分析を怠って現状の不満だけを述べ立てるのでは進歩がない。派遣で働かざるを得なくなったのには個々の事例に相応な理由があるはずだ。そしてそこに一切、自己責任の存在しない者などいはしない。何かの理由が必ずある。それを踏まえた後、10年先を見据えて戦略を練り、それを達成するために最低限必要な短期的目標を設定し、これに全力を傾ける。人生とはその繰り返しではないだろうか。

同じ能力を持った人間であっても、そのようにして30年、40年を生きた人間と、行き当たりばったり、出たとこ勝負で暮らしてきた人間の人生が同じであるはずがない。それが同じであったなら、それこそ不平等というものだ。ゆえに、賢い人間なら組合運動に参加してエネルギーを浪費するより、まずは自分自身を変えることにエネルギーを使うだろう。その方が圧倒的に楽というものではないだろうか。