<ビジョン> | 眠れぬ夜に思うこと(人と命の根源をたずねて)

<ビジョン>

派遣業とは他人の儲けを掠め取る奴隷産業である。これを合法化してしまったことが問題には違いないが、では、何ゆえそれが急速に日本社会を席捲してしまったのかを考えねばなるまい。
転職は労働者にとって当然の権利であると誰もが考えている。しかし、多くの経営者にとって、即戦力にならない新規採用者に支払う賃金は労働の対価ではなく、将来への投資なのだ。ところが、ころころと職を変える労働者はそのような経営者の思惑などまるで意に介すことなく、経営者がやっと投資を回収できるという段になって自分本位に辞めてしまう。にもかかわらず、そういう人々を雇ってしまったために経営者が被る損害を誰も補填してはくれない。

ゆえに、転職を繰り返す人間には徐々に就職のチャンスが狭まり、派遣の罠が待ち受けるというペナルティーがあってもよいと考える人々もいるのである。企業によるリストラばかりが非難されて労働者側の勤続姿勢が問われないのではアンフェアだからだ。結局のところ、経営者、労働者双方の利己的な風潮が高まる中、そこに派遣業の入り込む隙があったといえるのだろう。従って、もっとも戒めるべきは個々の利己主義化なのである。派遣業を悪玉にみたてて潰せばそれで済むという単純な話ではない。

十年単位、二十年単位のビジョンを持って行動する人間にとって、辛抱すべきものが何であるかを見誤ることはまずない。そして、自分の居場所は時間をかけてつくりだすものであって、居場所を変えたからといって即座に自分が特別になるわけではないことを知っているので、安易に職を選んだり、それを変えてしまうこともまずない。変えることがあるとすれば、それは既に10年、20年前から計画されて行われることになるだろう。
しかし、目先の利益ばかり追いかけることに血眼で、将来に確たるビジョンを持たぬ人間は、何に耐えるべきかを知らず、少しでも不満があれば職を変え、居場所を求めて彷徨し続ける。けれども、そのように利己的な人々が、最終的に派遣業に行き着くのは半ば必然なのだ。

一方、目先の利益追求に血眼な会社ほど派遣社員を多く雇うことになるだろう。そこには人を愛し、育て、これを守るという意識などない。だからこそ、切りやすい人材として派遣社員を用いるわけである。結局、利己的な者どうしが磁力で引き合うかのごとく集うことになるのだ。それはまさに類は友を呼ぶであり、その結末は自業自得であるといえるのかも知れない。

確かに、派遣社員になった、あるいは、ならざるを得なかった理由は人それぞれだ。しかし、長期的なビジョンを持ち、何に耐えるべきかを知っており、義理人情に厚い人生を歩む人間ほど、そうした罠からもっとも縁遠くなるのではないだろうか。育ててもらった会社に奉公して恩を返すという気持ち、会社のために働いてくれた労働者の恩に報いるという気持ちは、いずれも数十年をまたがなければ形に変えることはできぬことだろう。