<教育> | 眠れぬ夜に思うこと(人と命の根源をたずねて)

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誤解を招かぬために加えるならば、私のいう安易に職をかえる人々とは、職を変えざるを得なかった人々のことを指すのでは決してない。職を変えざるを得ない場合は仕方のないことだ。けれども、同じことが何度も繰り返されるというのであれば、それは職を選択する側にも問題があるといわねばなるまい。失職は交通事故のようなものかもしれないが、それに何度も遭遇する人々にはそれなりの原因があるものだ。

本当に不運から失職してしまった場合、即座に派遣でしか働けないということにはなりにくいのではないだろうか。前職でのキャリアに価値を見出す会社があれば再就職は難しいことではないからだ。経営者側にしてみれば、そういう人々は新たに投資する必要がない即戦力なのである。しかし、そのようなことを何度も繰り返していれば、やはり派遣でしか働けなくなってしまうことだろう。20代はその若さこそが財産であり、セールスポイントとして就職の可能性があるだろうが、そこで過ごす10年の間にキャリアを積んで己の価値を高めておかねば、30代で新たな仕事を見つけるのは難しくなってくるだろう。40代、50代ともなればなおさらだ。本物のキャリアを積むことは、二年や三年でころころと自分本位に職を変える人々には無理な相談なのだ。自分の価値を高め、これを保っておくには、やはり一つの職場に長く勤めるのが一番である。

自分本位にころころと職を変える労働者、次々と情け容赦なく社員をリストラする経営者、その両方が問題なのだ。ただ、社会全体がジリ貧である以上、それも生き残るためだといわれれば、責めてばかりもいられないのかもしれない。ゆえに、雇用を生み出す産業の創出と新たなエネルギー資源の開発が必要とされるのである。働ける職種が少ないという状況なら、むしろ少子化は望ましいことではないだろうか。就職時の競争率は低下するし、人口減につながれば食糧自給率は向上するのである。

立場上、私には20代、30代の方々の履歴書を拝見する機会が少なからずあるが、そこからみえてくるのが自分本位の若者たちだ。納得できる職歴を持参する若者は実に少なく、二十歳そこそこでありながら、職歴が記入欄の隅から隅まで、実に誇らしく書き込まれてあることもしばしばだ。また、就職に際してほとんど思慮なく、最初から派遣社員を選択した御仁も決して少なくはない。その一方、自分本位に転職を繰り返し、30代を迎え、唯一のセールスポイントである若さを遣い尽くして派遣に入らざるを得なくなった者もいる。彼らの多くは定職を選ぶ勇気がなく、そもそも何かになろうという明確な目標がなく社会人となる日を迎えてしまった人たちである。

こうした人々に共通しているのが、長期的なビジョンの欠落だ。現在の状況を今後十年続ければどうなるかという認識がうまくできず、よくてせいぜい2、3年先のビジョンしか持ち合わせがない。行き先不明、ゆえに職歴も一貫性がない。根無し草ゆえに最後は派遣会社という名のブラックホールに吸い込まれてしまうのである。
このような若者を増やしている原因はやはり、努力せずして結果の平等が保障されるかのごとき幻想を植え付けるサヨク教育にあるのは間違いない。しかし、もっとも悪い影響を与えているのは、今日の日本プロ野球、そしてメジャーリーグだろう。企業本意に選手のクビを切り、機械部品のごとく選手を交換する一方、選手もまた育ててもらった恩を顧みず、権利の行使とばかり自分本位に他球団にわたって行く。米国型の労働観がそのまま移植された日本プロ野球は、それ自体が、日本企業の退廃ぶりを如実に表しているといってよい。そして、こうしたありようが利己的なる社会を形成して行くのに大役を果たすのだ。


かくのごとき米国型の労働観からの脱却を果たすためにはまず、各自がそれを自覚するとともに、企業自らが襟を正し、社会のあらゆる局面でなされる再教育、啓蒙の成される必要があることだろう。