<エビデンスのない話(10) 終わりに> | 眠れぬ夜に思うこと(人と命の根源をたずねて)

<エビデンスのない話(10) 終わりに>

既知の見解もいくらか含まれてはいるが、本稿は概ね町医者の診療経験と素朴な実感のみに基づいた論考である。その内容は既に専門化された複数の領域にまたがる提言であるため、本稿の全体像を一度に公の舞台で報告する機会はないかも知れない。しかしながら、そこに一抹の理が宿るなら、将来、これまでの整形外科の保存療法のいくつかは変更を余儀なくされることだろう。

実は私には苦い経験がある。以前、腰痛で受診した60代の元気な患者に対し、整形外科の伝統的治療を踏襲して腹筋訓練を指導した際、未確認の脳動脈瘤を破裂させてしまったのだ。幸い、この患者は救命処置が奏功して命を落とすことはなかったものの、障害を残すことは避けられなかった。
無論、それは不可抗力であり、別の理由で破裂しないとも限らなかったわけで、医療機関で発症したことは自宅でのそれより、救命という観点では有利ですらあったかも知れない。
しかし、これをきっかけに、もともと懐疑的だった筋力強化主体の保存療法に対して、さらに疑問を持つようになったことは間違いない。より安全で、より効果の期待できる方法を模索するようになったわけである。本稿でご紹介したダイナミック・ストレッチはその答えでもあるし、A.K.A.もまた、そういった観点で生み出された方法に違いない。ただ、ここで誤解のないように述べておくが、本稿で論じた治療法はいずれも可逆的な病期において効果的というだけで、エンド・ステージへと移行してしまった症例には必ずしも有効でない場合がある。

今日、患者の医学的知識や健康意識は著しく向上し、慢性疾患においては、そのごく初期に医療機関を受診する患者が増えているのではないだろうか。ゆえに、我慢に我慢を重ねて症状を悪化させてしまったかつての患者たちと比較して、現代の整形外科医が応じる症例は軽症例が増えているのかも知れない。けれども、そこで軽症例を軽んじるなら、整形外科の発展にとっても、また、患者の健康にとっても、決して良いことではないだろう。それは医者自ら、医者の喜びを放棄するようなものである。
多くの整形外科医はエビデンスの有無をとても重要視しているようだ。確かに、生きた人の体に侵襲を与える医者がエビデンスもなく、無暗に独創的な治療法を試すのは憚られる。しかし、エビデンスがないからといって、そこに真実がないとはいえず、赦される範囲で新しい治療は試みられて然るべきではないだろうか。

本稿が患者の健康と医者の喜びにわずかでも貢献できることを心から祈る次第である。