<アスリートの救済 その2-腰痛> | 眠れぬ夜に思うこと(人と命の根源をたずねて)

<アスリートの救済 その2-腰痛>

アスリートが慢性的に抱える腰痛の原因は、その大多数が腸腰筋と呼ばれる筋肉の疲労によって引き起こされていると言ってよいだろう。それは主に大腰筋と腸骨筋でできており、前者は腰椎横突起から起こり、股関節をまたいで大腿骨の小転子に停止する大きな筋肉で、後者は腸骨の内面から起こり、同じく股関節をまたいで大腿骨の小転子に停止する筋肉だ。どちらも大腿の挙上、即ち股関節の屈曲を作用とし、姿勢維持に関わる筋肉だが、その大部分がインナーマッスルとして体内に隠れているため、あまり意識されることがなく、その異常も見過ごされやすいという特質を有している。

アスリートの患う腰痛の大部分が、なぜ腸腰筋に由来するかといえば、それは、その筋肉が、アスリート特有の非凡なパワーを生み出す源でもあるからだ。
例えば、見た目に華奢な体躯をしていても、遠くに球を飛ばせるゴルファーがいるのは、この筋肉が強いからである。細身の投手がなぜ速い球を投げられるかという点においても然り。バドミントンにおいても、スマッシュの速いプレーヤーほど、この筋肉の強靭なタイプが多くなる。つまり、次元の高いアスリートほど、この筋肉が発達しているわけであるが、だからこそ、そこに蓄積される疲労もまた、過大とならざるを得ないのだ。
にもかかわらず、アスリートのトレーニングは、この腸腰筋を鍛えることにばかり専心しており、そのケアが不十分であることが多い。スクワットでは伸び上がり動作時に腸腰筋に対して遠心性収縮が強いられるので、そこにかかる負担は過大となるし、ランニングにおいても、大腿挙上によって求心性収縮が頻回に繰り返されて、そこにかかる負担は少なくないのだが、どちらの場合も、大抵は使いっぱなしにされてしまう。このため、蓄積された疲労によって、のっぴきならない怪我に至ってしまうのだ。

では、筋肉が疲労を蓄積させるとはどういうことだろうか。町医者の素朴な実感でいえば、それこそは、筋線維が収縮したまま、十分に弛緩することのない領域が増大することを意味する。本稿ではこれを便宜的に弛緩不全と呼ぶが、その領域が広がると、骨格における筋肉の起始、停止部に持続的な牽引力が加わるばかりでなく、当該筋肉のまたぐ関節にかかる軸圧も増大するため、運動時の力学的負担が過大となる。アスリートの場合、旺盛な回復力に伴う筋力の増強も手伝って、骨格に対する負担はさらに大きくなる。そして、その結果として生じた諸々の変化が、痛みとして認識されることになると考えられるのだ。

大腰筋は、腰椎を前下方に牽引する成分を担うと同時に、腸骨筋は骨盤前傾を増大させる成分となるため、腸腰筋が弛緩不全に陥ると、骨格における同筋付着部両端に炎症を生ぜしめるだけでなく、腰椎前彎と骨盤前傾が増大し、椎弓にかかる力学的負担が大きくなる。ゆえに、腸腰筋を収縮させる反復刺激が構造強度の閾値を超えてそこに加わった場合、疲労骨折を来たしてしまう。さらに、それが癒合不全に陥れば分離症となるわけだ。また、腰椎に過剰な軸圧が加わることで、骨格の未成熟な若年者では椎体終板の破綻を招いてシュモール結節(椎体内に髄核が嵌入したもの)を生じることもあるだろう。その軸圧は髄核を押しつぶし、線維輪を押し広げる力として働くため、仮にシュモール結節を生じることがなかったとしても、線維輪の断裂を引き起こせば、後に腰椎椎間板ヘルニアを生ぜしめる原因となり得る。また、腸腰筋それ自体に筋挫傷を生じてしまう場合も考えられるだろう。

いずれにせよ、腸腰筋に過剰な疲労を抱えた場合、その弛緩不全によって生じる疼痛を回避すべく、立位では股関節において十分な伸展位をとらなくなってしまう。このため、上半身は前傾姿勢とならざるを得ないが、そうなると今度は固有背筋にも負担がかかってしまい、この負担を軽減させるべく代償性に股関節と膝関節の双方をわずかながら屈曲させた姿勢で体幹を起こすようになる。このため、ハムストリングスや大腿四頭筋にも過剰な負担が強いられることで、それらにも弛緩不全を生じると考えられるのだ。これが、股関節や膝関節に対して、さらなる故障を生ぜしめる原因となる。即ち、タイト・ハムストリングスとは、まさに腸腰筋の弛緩不全をきっかけとして生じた結果に過ぎず、腰痛の直接原因ではないといえるだろう。
ここで特筆すべきは、腸腰筋の弛緩不全に端を発し、そのしわよせが下肢筋群に及ぶことで、下肢にも筋膜性疼痛を患う場合があるということだ。つまり、腰椎椎間板ヘルニアによる根性疼痛とは異なる機序で、腰痛と下肢痛を患うわけで、腰痛に伴って下肢痛を生じたからといって、それが直ちに腰椎椎間板ヘルニアを疑う所見とはいいがたいというわけだ。

腸腰筋は、唯一、鼠蹊部でのみ、これに触れることができるため、腸腰筋由来の腰痛であるかどうかは、鼠蹊部に自発痛ないし、圧痛があるかどうかで、ある程度判断され得る。とすると、グローイン・ペインと呼ばれて問題にされているアスリート特有の鼠蹊部痛の正体もまた、この腸腰筋由来の痛みだと推論することができるだろう。実際、大腿を頻繁に挙上することで腸腰筋に疲労を蓄積させ易いと考えられるサッカー選手に、グローイン・ペインは多いのである。そして、もし、それが本当に腸腰筋由来の症状であるなら、グローイン・ペインもまた、アスリートの腰痛に対処する方法と同様の手法で軽快するはずだ。要するに、腸腰筋をストレッチできれば良いのである。

ストレッチには、スタティック・ストレッチと呼ばれる方法がよく知られている。即ち、牽引によって物理的に筋肉を引き延ばす方法だ。腸腰筋に対してそれを行う場合、具体的には、深呼吸の間合いを保ちながら、伏臥位で他動的に股関節の伸展を行うのであるが、独力では行いにくいという欠点を有している。
そこで推奨されるのが、ダイナミック・ストレッチだ。実は、腸腰筋には、わずかながら股関節外旋作用があるため、股関節を内旋させる際には、それが内旋を行う主動筋に対する拮抗筋を演じる関係で、いくらか収縮に対する抑制が働くのである。この原理を利用して、仰臥位で両下肢を肩幅程度に開き、約1ヘルツのリズムで股関節をぶらぶらと繰り返し回旋する運動を、痛みを感じない可動域で繰り返すと、腸腰筋の筋緊張が軽減するのだ。疲労の度合いにもよるが、100回程度で効果が現れ始め、エクササイズの適切なリズムとテンポを維持して力まずに行えるのなら、200回、300回と、回数を増やすほど、より効果的となる。
もっとも、脱水状態であったり、腸腰筋それ自体に筋挫傷を生じている場合や椎間板に線維輪断裂等のトラブルを抱えているような場合、あるいは圧迫骨折を来たしているような場合は、このエクササイズで腰痛が増強する場合もあるので注意が必要だ。また、足元を肩幅程度に開いて椅子に腰掛け、両足を床に固定した状態で、股関節、膝関節屈曲90度で、股関節をぶらぶらと内外転する方が効果的な場合もある。それは腸骨筋や臀筋にかかえた弛緩不全が腰痛を引き起こしているような場合だ。

以上の方法に加え、当該筋肉に干渉波治療を行ったり、ビタミンB1を摂取したりすると効果は倍増する。逆に、症状を増悪させる因子は脱水、寒冷刺激、喫煙、ストレスなどである。筋肉が弛緩するにはエネルギーが必要であるため、筋肉内の血流維持に不利な要素は、全て症状を増悪させるのだ。ゆえに、アスリートがタバコを吸うなど言語道断であり、喫煙者が腰痛を患うのは、いわば自業自得であるという厳しい見方もできる。少しでも選手生命を延長させたいなら、喫煙習慣とは直ちに縁を切るべきであるのは、言うまでもないだろう。
例えばプロゴルファーであるジャンボ尾崎選手の腰痛は、自身の喫煙習慣が相当に影響しているのは、まず間違いがない。プロゴルファーにとって、腸腰筋のコンディションは球を飛ばす生命線なのだが、喫煙習慣によって弛緩不全に陥った腸腰筋は、その筋力が強ければ強いほど、腰椎に与える負担も大きくなるので、怪我も重症となりやすいのである。勿論のことながら、受動喫煙による影響も見過ごすことはできない。石川遼選手の父君はヘビー・スモーカーのようだが、氏の喫煙は、ご自身の健康を害するのみならず、大なり小なり、ご子息の選手生命をも短くしてしまう恐れがある。また、カフェインやアルコールの摂取が、それらの利尿作用によって引き起こす脱水も見過ごせない。アスリートが長距離移動中にアルコールを摂取していると脱水が進み、急な起立動作時に腸腰筋の痙攣を来たして急性腰痛を発症しやすくなる。
バドミントン競技においては、オグシオの名で知られた小椋選手の腰痛も、この腸腰筋由来の痛みであった可能性が高い。持ち味であるスマッシュの速さは、その腸腰筋の強さによって生み出されていたものに相違なく、それが仇となって彼女を苦しめていたのではないだろうか。このように、トレーナーが選手の抱える腸腰筋の異常を見過ごせば、いずれはそれが椎間板ヘルニアやすべり症を引き起こすことになる。そもそも、腰椎椎間板ヘルニアもすべり症も、腸腰筋の弛緩不全が招いた結果に過ぎず、腰痛の原因ではない。ゆえに、腸腰筋の疲労をコントロールできなければ、どれほど優れた手術を何回受けようが、スポーツを続ける限り、何度でも腰痛を患うことになってしまうだろう。

実のところ、多くの整形外科医は、外科的治療を必要としない痛みに対しては、どこそこを鍛えれば良いという指導しか持ち合わせがない。だが、アスリートの抱える痛みの場合、本当は鍛えることを勧めるのではなく、症状を引き起こしている筋肉を弛緩させる方法をこそ、提案する必要があるのだ。
しかしながら、大変残念なことに、腰痛を引き起こす原因に無頓着な整形外科医は少なくなく、そのため、多くの場合、腰痛を抱えるアスリートに対して適切な指導がとられていない。実際、自らも腰痛に苦しむ整形外科医は多い。整形外科医の指導を仰ぎながら、それでも腰痛を悪化させていくアスリートが絶えないのは、筋力強化至上主義に陥ってしまった整形外科医の責任であると言っても、過言ではないかもしれない。