<腰痛と生活習慣> | 眠れぬ夜に思うこと(人と命の根源をたずねて)

<腰痛と生活習慣>

脊椎外科のシンポジウムに参加して驚かされたのは、非特異的腰痛(原因のよくわからない腰痛)は腰痛患者全体の85パーセントにまで達するという報告のあったことだ。とすれば、整形外科医が日常で診る腰痛患者の半数以上は原因が定まらぬまま、適当に薬剤が処方され、やり過ごされていることになるわけだ。それでも軽症例は自然経過で良くなるかも知れないが、中にはそうでないものがあり、整骨院がその受け皿になっていたりもする。始末の悪いことに、整骨院で良くなってしまう症例も少なくないので、専門家としての整形外科医の面子は丸潰れになってしまうことがあるといえるだろう。

なぜそのようなことが起こってしまうのか。長らく町医者をやっていれば思い当たることがある。それはつまり、整形外科医が骨の異常ばかり診て筋肉の異常を見過ごしがちだということだろう。実のところ、腰痛患者では、ちょうど非特異的腰痛の存在率に近い割合で腸腰筋に異常を呈した症例に遭遇する。疲労の蓄積か、または廃用性の変化によって腸腰筋の滑らかな収縮弛緩に異常を来し、それが元になって腰痛を引き起こしているわけである。マッケンジー体操が何故腰痛に奏功するかといえば、それは、あの独特の姿勢が腸腰筋の伸展姿勢、即ちストレッチになっているからに他なるまい。

こうした筋肉の異常(本稿ではこれを便宜的に弛緩不全と呼ぶ)は、整形外科領域の、かなり多くの疾患で原因になっていると推論され、その詳細は<エビデンスのない話>に著した通りである。腰痛の場合、一方では仙腸関節の異常がその原因であるかのごとき考察も見受けられるが、そもそも、仙腸関節に異常をもたらす直接原因は、腸腰筋を構成する大腰筋の弛緩不全に他ならない。仙腸関節を直接動かす筋肉はないものの、大腰筋が仙腸関節をまたいでいるため、大腰筋の弛緩不全が仙腸関節に剪断力となって働くと考えられるわけである。

ここでいう弛緩不全の成因には、筋肉の収縮と弛緩とをつかさどる神経伝達機能の低下が深く関わっていると考えられる。高齢者の場合、廃用性変化に伴い、神経伝達機能の衰退を介して弛緩不全を生じる一方、小児の場合、神経伝達機能が未熟であることから疲労を蓄積させて弛緩不全を生じるという相似性を有している。どちらも力を抜くのが不得手になっており、筋肉内に弛緩不全領域が拡大し易くなっているわけだ。実のところ、高齢者においては、ただ歩くという行為であっても、十分に過負荷となってしまうため、運動不足解消を目的とした散歩を習慣化した結果、腸腰筋や大腿四頭筋の弛緩不全を生じて腰痛や膝痛を患うことになる。では、歩くことが悪いのかというえば、そういうわけではなく、じっとしていて関節を動かさない方が廃用性変化を助長するので、なお悪いといえる。結局、神経伝達機能の維持改善と弛緩不全の解消が重要なので、歩行後に十分なダイナミック・ストレッチを行うことで、神経伝達機能に刺激を与えるとともに、筋肉に生じた弛緩不全を解消しておけば良いだけの話である。

さて、筋肉の弛緩不全には年齢の相違のみならず、その生活習慣も深く関わっていると考えられる。その誘因として外来で意識されることが多い原因のツートップは喫煙と脱水だ。喫煙は筋肉内の血流を低下させ、筋線維が弛緩するのに必要なエネルギーの供給を妨げてしまうし、脱水は筋肉内の保水が不十分となってしまい、全身の筋肉を鰹節のごとく硬化させることになる。高齢者の場合、口渇中枢の機能自体が衰えているため、脱水があっても、のどの渇かない傾向があり、口渇感で水分摂取量を調節していたのでは脱水が必発であることには要注意だ。他方、若年者であっても、発汗量が多い場合、ナトリウム喪失量過多により、高齢者と同様に口渇感が低下して脱水を生じやすくなる。ひょっとすると、繊維筋痛症とは、こうした生活習慣を誘因として全身の筋肉に生じた弛緩不全の重症例と考えることができるかもしれない。

ちなみに水分摂取量の多寡を判断する目安としては、発汗の少ない環境下で、体重50キログラムの人に必要な一日摂取水分量を約1.5リットルと考えればよい。だが、仮に摂取水分量が十分でも、その内分けがコーヒー、紅茶、緑茶、アルコールなど、利尿作用の強いものに偏る患者は、やはり筋肉の弛緩不全を誘発しやすい傾向にある。実際、ヘビースモーカーやコーヒー好きには肩こりや腰痛持ちが多く、それらの生活習慣の改善だけでも症状は軽減するが、逆に、それらの生活習慣が改まらなければ、ダイナミック・ストレッチもさほど効果を得られない場合がある。皮肉な話、整形外科医の中でも、こうした生活習慣が原因で腰痛を患っている者は数多いに違いない。